もうひとつあったわが国で最初の鉄道用錬鉄橋−大宮橋

ピン結合のワーレントラスを使用している大宮橋
 「十三小橋」のすぐ西にある「浜中津橋」が、明治7(1874)年に神戸〜大阪間に開通した鉄道の「下十三橋」に使用されたポニーワーレントラス橋の生き残りであることは、一般にもかなり知られている。このたび、同じような生き残りがもう1橋あるのではないかとの連絡を受けて、熊取町の「大宮橋」を訪れた。

戸〜大阪間に開通した鉄道では、橋梁はイギリスのダーリントンアイアン(Darlington Iron)社が製作した70ft(約21.3m)の錬鉄製ポニーワーレントラスを輸入して用いた。単線であったから1径間当たり2主構であったが、将来の複線化を予定していたため、将来の中央用は部材を厚くするなどの差異があった。複線化が実現したのは29年で、
 図1 下十三川橋に使用されたワーレントラス構の転用の系譜
ポーナル(Charles A. W. Pownall)が設計し、鉄道作業局神戸工場で製作した。
 神戸〜大阪間には4本の橋梁があったが、このうち下十三橋は新淀川の開削に伴って33年に撤去され、これに伴い9径間27構の錬鉄製ワーレントラスが発生した。これらが大阪府に払い下げられて、42年に開通した府道大阪吹田線の長柄橋に22構、大阪池田線の十三小橋に2構が転用された。
 残された長柄橋の写真(図2)を見ると、主構の高さが径間によって微妙に異なっているように思われる。部材厚の大きい中央用の主構とそうでない側部用の主構が
図2 「長柄起伏堰」(大正3(1914)年)設置直後の長柄橋、矢印(筆者追加)の左右でトラス構の高さがわずかに異なっている(出典:「大阪市の100年」刊行会「目で見る大阪市の100年上巻」(郷土出版社))
混用されていたことが伺われる。
 十三小橋に転用された2構は、隣接する十三大橋の架替え(昭和7(1932)年)によって再転用された。これが浜中津橋である。計測などにより、下流側の主構が当初の中央用、上流側が複線化に伴って追加された側部用であることがわかっている。なお、浜中津橋は、淀川左岸線(2期)事業に支障するため、現在は撤去されて西淀川区内で保管されている。
のたび調査した大宮橋は、(旧)国道170号が見出川を渡る箇所に架かるもので、府の橋梁台帳では、昭和6(1931)年に架設され橋長は21.6m、幅員は6.0mである。この道路についての最も古い記録の存在は大正12(1923)年で、府道水間佐野線に認定されたとある。当時の幅員は1.5間(約2.7m)であった。これが昭和6年になって、大阪府の十大放射と呼ばれる幹線道路を環状に連絡する道路のひとつとして改修することが決定され、翌年から予算を付けることとなった(「道路の改良」第13巻第3号)。ところが、村では翌年の予算化を待たずその年のうちに村の手で改修してしまったようだ(「熊取町史」)。これが現在の大宮橋である。
 外観は表題の写真のとおりで、上路橋1)に改築されているものの、剛結された長方形の枠内にワーレン型に8対16本の斜材をピン結合で配置している主構が、浜中津橋と類似していることは一目瞭然である。参考文献1では、管理者から提供を受けた橋梁台帳の概略図と明治時代の記録とを比較するなどして、大宮橋が明治初期に東海道本線の橋梁に適用された70ft桁と寸法等がほぼ一致することが示された。また、筆者は、大宮橋と浜中津橋の主構を可能な範囲で比較してみたところ、大宮橋の2つの主構は、表1のように、浜中津橋の下流側(当初の中央用)の主構とよく一致していることが確認できた。

 表1 大宮橋と浜中津橋の主構の比較
   大 宮 橋 浜中津橋(下流側) <参考> 浜中津橋(上流側)
外観
ピンの
直径


108mm


106mm


135mm
ナットの
座金


使用している


使用している


使用していない
上弦材
のリベッ
トの形状


平頭型


平頭型


丸頭型
添接板
のリベッ
ト配列
(片側)
上から
 3
 2
 3
 2
と配置
上から
 3
 2
 3
 2
と配置
上から
 2
 3
 2
 3
と配置
上弦材
と端柱
の接合
部のリ
ベット配

左から
 3
 3
 3
 2
と配置

左から
 3
 3
 3
 2
と配置

左から
 3
 3
 3
と配置

路管理者には本橋の建設記録が残っていないそうで、これが明治7年に架けられた鉄道橋の生き残りであることを資料から裏付けることはできなかった。しかし、表1に示されたほどの一致を見れば、これが当初の中央用の主構であることは確実だと思える。
 図1によれば、昭和6年に架けられた本橋が長柄橋からの再転用である可能性はなく、長柄橋にも十三小橋にも転用されなかった下十三川橋の3主構が大阪府に残されていて、そのうちの2主構がここで使用されたと考えられる。本橋は上路橋であるので、サイズの異なる中央用の主構と側部用の主構を混用することは不都合なことから、中央用の主構が2つ使われたのであろう。よって、本橋の主構は明治7年に架設された神戸〜大阪間の鉄道橋を転用したものと思われ、錬鉄製であると推定される。
れを明らかにするため、筆者も参加する「関西地区に存在する明治期のトラス形式鉄橋に関する調査研究会」が設置され、令和5(2023)〜6年度に土木学会関西支部の助成を受けて、浜中津橋下流側主構と大宮橋の2基の主構について、鉄材の成分分析を行って性状の異同を明らかにすることを試みた。
 鉄材の成分分析で最も重要なのは炭素量である。鉄は含まれる炭素の量により性質が変化するため、製鉄に際して炭素をコントロールする方法がさまざまに研究されてきた。1855年に鋼鉄の大量生産の手法が開発される以前は、パドル法(攪拌精錬法)により錬鉄を製造していた。パドル法とは、反射炉2)にあけた小窓から鉄の棒を差し込んでかき回しながら製鉄する方法である。炭素が減ると鉄の融点が上がるが、当時の技術では炭素の少ない鉄を溶融するほどの高温が得られなかったため、半溶融状態になった鉄をかき回して反応を継続させる作業が必要になるのである。
 錬鉄は炭素の含有量が少ないことが知られており、参考文献2は鋼鉄(炭素鋼)と比較しつつ表2のような
 表2 鋼鉄(炭素鋼)と錬鉄の化学成分(%) (参考文献2による)
鉄(Fe) 炭素(C) マンガン(Mn) 硫黄(S) リン(P) ケイ素(Si)
鋼鉄(炭素鋼) 98.1〜99.5 0.07〜1.3 0.3〜1.0 0.02〜0.06 0.002〜0.1 0.005〜0.5
錬鉄 99〜99.8 0.05〜0.25 0.01〜0.1 0.02〜0.1 0.05〜0.2 0.02〜0.2
成分分析値を示している。
 ただし、パドルの操作は人力によっていたため、錬鉄は成分が炉の中で不均質になる恐れがある。よって、錬鉄橋の異同を成分分析により判断しようとする場合では、主要な元素の含有割合を比較するだけでは不十分で、微量な不純物の有無も含めて判定することが望まれる。そこで、本調査では、炭素(C)、ケイ素(Si)、マンガン(Mn)、リン(P)、硫黄(S)、ニッケル(Ni)、クロム(Cr)、銅(Cu)、スズ(Sn)、鉛(Pb)の10元素を分析対象とした。
 大宮橋上流側主構、下流側主構、浜中津橋下流側主構からそれぞれ採取した試験片について分析を行った結果は、表3及び図3のようであった。
  表3 試験片ごとの元素含有率
試 験 片 元 素 の 含 有 率 (%)
C Si Mn P S Ni Cr Cu Sn Pb
大宮橋上流側主構 0.01 0.09 0.01 0.42 0.030 0.07 0.00 0.04 0.00 0.00
大宮橋下流側主構 0.01 0.17 0.11 0.19 0.024 0.02 0.00 0.01 0.00 0.00
浜中津橋下流側主構 0.01 0.17 0.07 0.25 0.022 0.02 0.00 0.01 0.00 0.00
 3試験片とも炭素の含有量が0.01%と少なく、浜中津橋が錬鉄であることが確認できたとともに、大宮橋も錬鉄であることが明らかになった。
図3 試験片ごとの元素含有率
また、その他の元素の含有率を見ると、ばらつきはあるものの、マンガンが比較的少なくリンの含有量がやや多く硫黄の含有量はかなり少ないなどという共通の特徴が見られる。よって、3基の主構の鉄材は同じ仕様により作られたものと判断でき、大宮橋も浜中津橋下流側主構と同様に、明治7(1874)年に開通した鉄道橋を転用したものであることが解明された。
回の調査により、大宮橋の主構は明治7(1874)年に架設されたわが国最古の鉄橋であることが明らかになった。浜中津橋が撤去された現在では、唯一の遺構として貴重である。現状ではその事実は一般に知られていないので、今後、本橋の顕彰等を行い、地域のアイデンティティの向上や本橋の愛護につなげていくことが求められる。また、浜中津橋の下流側主構と大宮橋の同一性が示されたので、浜中津橋の錬鉄材について、引張強度、ヤング率3)、降伏点4)等の材料特性を調査し、大宮橋の合理的な管理に生かすことが望まれる。

(2020.04.22)(2025.04.13)
(参考文献)
1 黒山泰弘、松村 博「大宮橋(推定明治初期の70ft桁)について」(「第40回日本土木史研究発表会論文集」(2020年 7月)所収)
2 https://en.wikipedia.org/wiki/Wrought_iron

1) 主構の上に路面をおく形式の橋梁のこと。2つの主構を結ぶ横桁などを路面下に設置することで強度を増すことができる。

2) 金属融解炉のひとつで、燃焼室で発生した熱を炉の天井や壁で反射させることにより高温を得る方式。主に18〜19世紀に使用された。燃料と金属が接触しないので燃料からの不純物の混入がなく、もとの鉱石の成分が維持されるという特徴を持つ。

3) 力が加わった際に変形する程度を表す係数。縦弾性係数とも言う。イギリスの物理学者トマス・ヤング(Thomas Young、1773〜1829年)に由来する。

4) 金属を徐々に強い力で引っ張ると、始めは力に比例して伸びていくが、あるところで伸びが急速に増えていくようになる。この現象(これを降伏という)が起こる点のこと。